ROAD TO DEMOCRACYにしろ
ロトゥキン2が始まりましたね。
www.youtube.com ロトゥキン1でも出演して4年後も出ているONEUS
さて、前回のROAD TO KINGDOMから4年が経過し、ACE OF ACEとして帰ってきたロトゥキンです。コロナ禍は(脅威が去ったかどうかは別として)収束を迎え、ヨントンやコンサート配信が根付き、ロトゥキン出演グループからはBEAUTIFUL BEAUTIFULやCrazy Like That、Pump it upなどの名曲が生まれました。
4年です。Y2Kがリバイバルし、男性アイドルのルーズソックスってかわいいジャン、スカートっぽい衣装って綺麗だねという(個人的な)発見もありました。
2020年のときに大流行りしていた赤黒・ドゥンバキからトレンドは離れ、多くの男性アイドルが声高らかに青春の輝きや、一瞬の光の眩しさに目を細めるような楽曲を披露しました。
これはMnetへの怒りであり、アイドルへ向けた感情ではありませんが、ROAD TO KINGDOM ACE OF ACEとは、4年前の焼き直しをする番組なのでしょうか。
対面式のパフォーマンスを一通り観ました。私が覚えているメンバーは8TURN、(元)JUST B、ONEUS、CRAVITYだけで、出演者全員の顔と名前が一致しているわけではありませんが、正直、パフォーマンスを観終わった時は似たり寄ったり!!という印象でした。当然、各々いいところはありました。ただ、引きで見るとあまりにも似通っている。
力強さを強調したダンスブレイク、ちょっとした小道具で起こすちょっとしたサプライズ、燃える闘志を無加工でご提供されたステージ。
「清涼曲が今多いのはトレンドが変わっただけ」と言われると否定はできませんが、変わったのならこのような競演の場でもそれなりに変化があってしかるべきだと思っています。いえ、強く信じています。8TURNのデビュー曲はこれからどんなアイドルになるのだろう?と非常に期待を抱いたMVでした。
なぜ顔合わせの場で、穏やかな曲調ではいけないのか。晴れやかなパフォーマンスであってはならないのか。力強さを強調することに何の意味があるのか。
これが殴り合いの場なら、力強さはアドバンテージですが、様々な背景を持って様々な音楽を作ってきたアイドルたちが一堂に会して、ひたすらパワフルなパフォーマンスが優先される意味がわからない。なぜですか?Mnet。
というか、単に視聴者の視点であっても一つステージが終わっても同じような絵面が続くのは飽きる。
そしてこれは意見の分かれる議論だとは思いますが、なぜ銃が頻出するのか。現在ガザでは虐殺が起きており、ヒズボラに対して国際法違反のテロ行為が横行し、ウクライナでは侵略戦争が今なお続いています。銃は力強さですか?Mnet。
そもそもROAD TO KINGDOMというタイトルが悪い。Mnetを王に据えて、その領地であるキングダムを目指すみたい。ROAD TO DEMOCRACYにしろ。
漫画を読んだ・展覧会に行った・高い指輪を買った
お久しぶりです。
最近、九井諒子展に行きました。僕のヒーローアカデミアを完結まで読みました。高い指輪を買いました。の備忘録です。
■九井諒子展
けっこう前に九井諒子展に行ってきた。ダンジョン飯を中心に、過去作の原画や複製原画、ものすごくデカいカラーイラストが飾られていた。
当然のことながら絵が上手い。九井先生が描く群衆絵が好きだ。モブが画面の賑やかしとしてではなく、個を持った人物として描かれている。
■過去作
ひときわデカいカラーイラストは短編集「ひきだしにテラリウム」の表紙だったのだが、めちゃくちゃデカいし(漫画家の展覧会に行ったことがないのだけどあれくらいのサイズは普通なんだろうか)、これを描いたら10年はアイデアが出ないのではというくらい色々なものが詰め込まれているし、絵が上手い。


■ダンジョン飯 ※最終話ネタバレ
2巻?3巻?が発売されたタイミングで無料公開期間があり、そのときに読んでから単行本を集めていた。
絵が上手いなあ、コメディが面白いなあという感想をせいぜい抱くくらいだったのだが、それから7,8年経っても忘れずにおり、最終巻まで継続して買った。別にいっか…で済ませなかったのは自分でも変な感じだ。そうやって忘れていった作品が山ほどあるため。
最終話がとくに良かったのだ。私のダンジョン飯に抱く感想は、けっこうな割合を最終話が持っている。長い旅路の果てに、それぞれが選び、手放し、未来へ足を踏み出す。食事だけが唯一、種族を越えて共有される。
ファリンが目覚めた瞬間のライオスの狂おしさといったら! ダンジョン飯と言ったらあのシーンをいの一番に思い出す。大変な描きこみがされているわけでもなく、トーンや効果線など小手先のテクニックが使われているわけでもなく、水平線のようにシンプルで、だからこそ美しいワンシーン。本当に絵が上手い。※展覧会の物販ではこのシーンのマグネットが売り切れになっていてハ、ハア、、、?と立ち尽くした。
あと、翼獅子に操られる原因となったマルシルの欲望。私も十代までは親しい人が先にいなくなるなんて耐えられないと、その喪失感に真正面から慌ててぶつかりに行っていた。二十代になってからようやく「両親が老いるという事は…俺も老いるということ…?」と気付いた。それで、絶望感をほどほどにいなすことを覚えたのだった。今でも突発的に嫌だ!!!!と叫びだしたくなる日はある。
でもマルシルは辛いよね。自分はほとんど老いないまま、親しい人々がいってしまうのが現実なんだから。翼獅子が出てくるまではマルシルのことを特別気に入っているわけではなかったのだけど、「皆と老いたい。自分だけ残されたくない」という欲望を知ってからはかわいく見えているし、共感の念を抱いている。
九井先生のインタビューも面白かった。最終話までは作者インタビューを読むこともなかったのだけど、なんというか、回答が非常にフラットだ。コレはできるがアレはできない、とか、ダンジョン飯の中で描いた食事で食べたいものは特にない(相当な偏食家だったらしい。今はだいぶ慣れたそう)、とか。食事をテーマにした漫画を10年ものあいだ描き続けてこれを言い切るの、どういうこと…!?と思った。
私のバイブルであり、我が人生の混迷期に寄り添い続けてくれた作品がついに最終回を迎えた。このブログでは以前「デクくんとお茶子ちゃんが結婚して最終回を迎えるんだ」と書いたと思う。
なんなら切島くんと芦戸ちゃん、耳郎ちゃんとカミナリくんあたりは全然子どもがいてもおかしくないと思っていた。というか、そういう風に覚悟を決めておかないと精神上よくなかった。言い方は他にもあると強く思うし、違う表現が身に馴染むようになりたいとも思うけど、当時の気持ちを安直に言えば、置いて行かれる覚悟をしていた。
実際、最終回では全ての漫画に倣ってヒロアカも数年後にジャンプしたのだけど、みんなヒーロー活動をしていた。デクくんも、お茶子ちゃんも、みんな。結婚の描写はどこにもなかった。
堀越先生のことわかってなかったなあ~と思った。そういえばコミックスのおまけだったかで男子キャラの女体化を描いたとき、「何をもって男として何をもって女とするのかわからない(うろ覚え)」って言って「まつげを生やしました」って、いつものデクくんたちがちょっと睫毛長くなったくらいのイラストを描いていた。
ヒロアカは私を救ってくれたけど、あの全てが救済の形をしていたわけじゃない。ジャンプ漫画で頻出する性加害描写や女性キャラのヌード、ジェンダー規範の押しつけはあった。それはそれでやめてほしかったし、なかったらよかったな~と今でも思う。
そういう気持ちとは別に、10年ほど前、一話のデクくんが叫んだ「君が助けを求める顔をしていた」という台詞を今でも思い出す時があるし、かっちゃんには愛憎並々ならぬ思いを抱いていたし(だからこそ、最終決戦で心臓を射抜かれた彼のなんと美しかったことか)、オールマイトがもうあの姿になって私たちを助けに来てくれないことに長い間悲しみを覚えていた。
あと、人気投票でかっちゃんが一位を獲り続ける状況に一時期はキーッとなったものだが三回目あたりからは「いくらかっちゃんが人気でも、この漫画は、デクくんが紡ぐ"僕のヒーローアカデミア"だから…」という達観した気持ちになったりした。
ヒロアカも低迷したりアンチがついたりいろいろ大変だったのだ。ずっと傍にいて応援する事は出来なかったが、それでも私の人生のどこかにはずっといた。デクくんは、僕のヒーローアカデミアは私にとってのヒーローだった。10年間ありがとう。
アニメも映画も公式の二次創作と考えているくらいには原作過激派なので、私のヒロアカは堀越先生の手によって終わった。結婚云々については後日談がコミックス内などで言及されるかもしれない。デクくんの左手の薬指は全コマ絶妙な角度で隠されていた。
■高い指輪
最近おいしくて高いクッキー缶や、使い勝手の良くて高い日用品を買うことを覚えた。デパートでなんとはなしに雑貨を見ていたら綺麗な指輪があったので、ちょっと悩んだけど、私にしては早く購入を決断した。
お手入れが必須な指輪ではあるので、たまに指に着けては水やアルコールにぬらさないよう気を付けて生活し、外した後には軽く拭いている。
貴金属、買いたいけどお手入れが面倒くさいなあとずっと思っていたのだが、いざ買ってみると人間も毎日風呂に入るし、服も毎日洗うし、貴金属だけそのステップがないなんてこと無いよな…と妙な納得を得たため、わりと丁重に扱うことに成功している。
鏡に映った指が思いのほか綺麗だったのだ。これをはめて生活したらどんなに素敵だろうと思った。幸いにもそれを実現できる金銭的余裕があった。高額な買い物って、そういう風に予想外を喜んで受け入れる覚悟が肝なのだろうと今は思っている。自分はこれを好むのだなという発見は、未分野の領域の方が発見しやすい。数か月前に香水を買ってからそんなことを考えている。
終わり