泥のように眠る

アイドルのはなし 引用はご自由に

そういえば練習生じゃなかった

生活がけっこう大変である。このままだとやばくなるのは明らかで、将来的にもかなり心配というか暗い状況だ。生きるのって大変じゃない?!なんで自己嫌悪にまみれながら眠りにつく必要が、あるんだろう・・・。自分がたいそうご立派な人間だと思ったことはないけど、それでももうちょっとやれると思ってた。本気出したらできると。

そんなわけはない。ずるずると生きていけばずるずると老いていくだけだった。

昨日友人と電話をして、あれ、私ってずっと前から止まってないか、とハタと気付いた。友人は資格の勉強や今後の将来について、壁にぶつかりながらそれでもなんとか乗り越えて(!)日々自分の人生を進んでいる。

自分自身がレールの上に乗ったトロッコだとして、人生の中で連続する選択がそれを山頂に導いたり底知れぬ谷へと落としていったりする。よっぽどのことがない限り(死という決断をもってして強制的に止めない限り)緩慢に、しかし絶えずトロッコは動き続けているわけで、つまり、気付いたら年を取っていた。

年を取っていく中で、10代の時ほどひどい落ち込みはしなくなったけれど、眠りにつく前に「なんでいつもこうなんだろう」「なにもしてない最低な人間だ」「恵まれてるのに恩を返さず生きている」という思いにとらわれるのは変わらない。私にとって睡眠を取るのは修行じみていて、寝るのはだいすきだけど眠りにつくのが難しい。

苦しむ理由の一つに、メチャクチャ頑張っている人を日々目にしているからだというのがある。kpopにおわすアイドルたちのことである。彼ら彼女らは完璧なパフォーマンスをして、見てる人たちを明るくして、その裏で血がにじむような努力をしている。それに比べて私は。ああ、私と言うやつは。

努力に対するコンプレックスとでも言えばいいのだろうか。自分が好きで見ているのに(実際、なんらかのタスクにかかりきりだったりするときに見るアイドルにはとんでもない癒し作用がある)むやみに自分を卑下しているのは十分に分かっているのだけど、それでも、彼ら彼女らの生き様が私の中の自己嫌悪を呼び覚ますことがある。

と、最近はうじうじとしていたのだが、さきほどそういえば、私は練習生じゃなかったなと気付いた。同じ土俵に立つ必要はなかったし、これからもない。それぞれの人生で生きていくだけだ。

好きなものに少しでも苦手意識を持つことは悲しいので、それに気付けて良かった。夜の苦しみはまだまだ続くだろうしもしかしたら一生逃れられないかもしれないが、それがわかっただけで今は十分としたい。